2015年7月12日日曜日

愛着


 半年ソファカバーに使っていたキルトを洗濯
200×200cmという巨大なログキャビン(アメリカのものです)
エイエイっと洗濯機に詰め込んだけど次からはコインランドリーに行こう(^^;
キルトはガラガラと洗えるけれど干すときはちゃんと竿にぶらさげないといけません
梅雨の合間にやっと洗えました

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まな板を新調
まな板は基本ぬらして使いますが
パンを切るときはこまるので
去年の大人の文化祭で買った藤岡のケンさんのカッティングボードを
で、突然台所に立ちこめる強い香りにたじろぐのです・・・!
ミントのような強い強い木の香りのような・・・
これが、ケンさんのカッティングボードを洗ったときに薫るのでした(^.^)

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「美の壺」「イッピン」などたまに見る番組です
松本でも民芸館に行きましたし
手仕事は大好き
といってそれらを生活に使っているわけではありません
何事にも分相応というものがあって
その定義は、う~ん・・・
第一の基本は「お手入れが出来る」ことだと思っています
どんなに革製品が好きでもちゃんとお手入れする習慣がないので
革靴やバッグは滅多に買いません
漆の椀が大好きでも使ってすぐに洗って棚に片付けることが
徹底できないので買いません
(もっとシンプルな生活ができるようになった時には是非!)

食器に限定した場合

10年ほどまえ、宮城のやくらいガーデンに友人と行きました
その近くのGENJIROというレストランでランチを頂きました
GENJIROのマダムとお話しましたが
100円均一のお皿から玉村豊男さんのディナープレートまで
お店で使っているそうです

値段はものの価値を示すもののひとつですが
それが全てではないですね

『美味しんぼ』 の究極vs至高対決の最初の頃
高級食材を使った至高が勝ったとき
選者が、仏様にとって食材に貴賤はない、というようなことを言ったと思います

好きで好きで手にとって使いたいほどの愛着があって
使って幸せな品々

「美の壺」スペシャルで柳宗悦の言葉を聞いてそんなことを思いました(^^)
 
「どんなものを生活に用いるかは
 どんな生活であるかの告白ではないか」


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