愛車タロウちゃんは赤とグレーのcervelo。 ウルトラマン柄なのでタロウちゃん。 愛車2号は白黒のオルベアオルカ 愛称はジロちゃん。 愛車3号はグレーのTREK、当然さぶちゃん。 水遊びつきのサイクリングにはシマシマの地下足袋持参。
2015年4月14日火曜日
きれいの理由
大根の間引きをしていたら、そばにいた大家さん曰く
「なんで虫食いがあるのよっ!?」
「え~、おいしいからでしょ」
「違うのよ! 薬まいたのに!!」
「いっ!!!」
大家さんは結構平気で薬や化成肥料を使うんだなあ
ここは自分用の畑なのに・・・
先日テレビで見た西畠清順さんの本が届いて
ぱらぱらと読んでいろいろ思うことがあるのだけど
ハーブ苗について書かれたところで
園芸やさんで売られているハーブ苗はきれいに揃っているのだけど
それをベランダで育ててお茶や料理に使うのには・・・
あくまで見るために、見栄えのよいように育てていて
農薬だけでなく矮化剤(徒長=伸びるのをふせぐ薬)を使っているので
これを食べるのはかなり危ないこと
・・・商品を育てているひとたちにはそれぞれのやり方がある
虫食いや規格外品をも愛でる習慣が広まらないかなあ
といったことが書かれていました
このことで思い出したこと
各地の道の駅などで産直業が盛んになった頃
成功した店のやり方がテレビで紹介されていました
売れ筋をオンラインでチェックして欠品を防ぐなどと共に
「よい品」を揃えるという意識統一が図られていたと思います
「よい品」というのはスーパーで売られている商品のような
見た目のよい規格品ではなく、形は不揃いでも新鮮で自信をもって勧められる品
ということだったと思うのです
そんなとき、近所の農協で
ピーマンの袋に大きな青虫が入っていたのをお店の人に渡したら
別なお客さんが「虫が食うほど美味しいのにねぇ」
と、言い
虫を嫌った私こそが不届き者といった雰囲気になりました
ちょっと違うんじゃない?・・・と思ったのよねぇ
・
カボチャの花は大きくて一日でしぼみます
まれに蜜を吸いに来た虫を抱き込んでしまうことがあります
どうなるかというと・・・
秋に買ったかぼちゃを切ってみると
中は××虫だらけっ!! ということが一度ありました(これは山形での話)
しばらく丸ごとのカボチャを買うのが恐かったですよ(^^;
ブロッコリの中で青虫が昼寝してたり
キャベツの葉の間にナメクジがいたり
家庭菜園ではそんなの当たり前
でもお店の商品でそれば「当たり前」じゃないと思うんだなぁ
部屋に虫が出たら、お詫びに商品プレゼントっていうコテージも
あるくらいだから(^^;
2015年4月7日火曜日
平成26年度 東京大学教養学部学位記伝達式
信州大学入学式の式辞が話題になっていますが
同じように東京大学卒業式の式辞も話題になっているというので
東京大学のサイトを覗いてみました
以下です
平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞
皆さん、本日はご卒業おめでとうございます。また、ご列席のご家族の皆様方にも、心よりお祝い申し上げます。今年度の教養学部卒業生は175名で、そのうち女性は50名、留学生が1名です。
全学の式典はすでに午前中、改装されたばかりの安田講堂で挙行されましたので、ここでは教養学部として、あらためて皆さんとともにこの日を慶びたいと思います。
東京大学の卒業式といえば、もう半世紀も前の話になりますが、東京オリンピックが開催された年である1964年の3月、当時の総長であった経済学者の大河内一男先生が語ったとされる有名な言葉が思い出されます。曰く、「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」。
当時、私はちょうど中学校にあがる年頃でしたが、この言葉は新聞やテレビでかなり大きく報道されましたので、鮮明に記憶に残っております。また、子供心 に、さすが東大の総長ともなると気の利いた名言を残すものだと、感心したこともなんとなく覚えております。皆さんの中にも、どこかでこの言葉を耳にしたこ とのある人は少なくないでしょう。
ところが、これはある機会に一度お話ししたことがあるのですけれども、じつはこの発言をめぐっては、いろいろな間違いや誤解が積み重なっているんですね。
まず第一の間違いは、「大河内総長は」という主語にあります。というのも、これは大河内先生自身が考えついた言葉ではなく、19世紀イギリスの哲学者、ジョン・スチュアート・ミルの『功利主義論』という論文からの借用だからです。
東大の総長ともあろうものが、他人の文章を無断で剽窃したのか、と思われるかもしれませんが、もちろんそういうわけではありません。式辞の原稿を見てみま すと、そこにはちゃんと、「昔J・S・ミルは『肥った豚になるよりは痩せたソクラテスになりたい』と言ったことがあります」と書かれています。「なれ」と いう命令ではなく「なりたい」という願望になっている点が少し違っていますが、それはともかく、ここでははっきりJ・S・ミルの名前が挙げられていますか ら、これは作法にのっとった正当な「引用」です。ところが、マスコミはまるでこれが大河内総長自身の言葉であるかのように報道してしまった。そして、世間 もそれを信じ込んでそのまま語り継いできたというのが、実情です。
次に第二の間違いですが、これはもっと内容に関わることです。じつは、ジョン・スチュアート・ミル自身は「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」とも 「なりたい」とも、全然言っていないのですね。さきほど題名を挙げた『功利主義論』の日本語訳を見てみますと、こう書いてあります。
満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。
大河内総長の言葉とはだいぶ違いますね。ちなみに、英語の原文はこうなっています。
It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.
この原文を見ると、どうやらさきほど引用した日本語訳は正確なようですから、大河内総長のほうがこれをまったく別の文章に改変してしまったとしか考えられ ません。たぶん漠然と記憶に残っていた言葉を、自分の言いたいことに合わせて適当にアレンジしたのでしょう。その結果、「満足した豚」は食べたいものを食 べたいだけ食べるということで「肥った豚」になり、「不満足なソクラテス」は食べたいものにも安易に手を出さないということで「痩せたソクラテス」になっ たものと推測されます。しかしこれでは原文とまったく違ったニュアンスになりますから、ミルが語った言葉として紹介するのはさすがに問題なのではないか。 下手をすると、これは「資料の恣意的な改竄」と言われても仕方がないケースです。
ところが、間違いはこれだけではないんですね。じつは、大河内総長は卒業式ではこの部分を読み飛ばしてしまって、実際には言っていないのだそうです。原稿 には確かに書き込まれていたのだけれども、あとで自分の記憶違いに気づいて意図的に落としたのか、あるいは単にうっかりしただけなのか、とにかく本番では 省略してしまった。ところがもとの草稿のほうがマスコミに出回って報道されたため、本当は言っていないのに言ったことになってしまった、というのが真相の ようです。これが第三の間違いです。
つまり、「大河内総長は『肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ』と言った」という有名な語り伝えには、三つの間違いが含まれているわけです。まず「大河 内総長は」という主語が違うし、目的語になっている「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」というフレーズはミルの言葉のまったく不正確な引用だし、お まけに「言った」という動詞まで事実ではなかった。というわけで、早い話がこの命題は初めから終りまで全部間違いであって、ただの一箇所も真実を含んでい ないのですね。にもかかわらず、この幻のエピソードはまことしやかに語り継がれ、今日では一種の伝説にさえなっているという次第です。
さて、そこで何が言いたいかと申しますと、まず、皆さんが毎日触れている情報、特にネットに流れている雑多な情報は、大半がこの種のものであると思った方 がいいということです。そうした情報の発信者たちも、別に悪意をもって虚偽を流しているわけではなく、ただ無意識のうちに伝言ゲームを反復しているだけな のだと思いますが、善意のコピペや無自覚なリツイートは時として、悪意の虚偽よりも人を迷わせます。そしてあやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて 世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。
情報が何重にも媒介されていくにつれて、最初の事実からは加速度的に遠ざかっていき、誰もがそれを鵜呑みにしてしまう。そしてその結果、本来作動しなけれ ばならないはずの批判精神が、知らず知らずのうちに機能不全に陥ってしまう。ネットの普及につれて、こうした事態が昨今ますます顕著になっているというの が、私の偽らざる実感です。
しかし、こうした悪弊は断ち切らなければなりません。あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自 分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求め られる「教養」というものの本質なのだと、私は思います。
今朝の本郷での卒業式では、学生代表の文学部の学生さんが、答辞の中でたいへんいいことを言っておられました。私も今朝初めて聞いたばかりですから正確に は再現できませんが、おおざっぱに要約すれば、「どんな言葉にも名前が記されている。たとえ匿名の言葉であっても、それを発した人間の名前は刻印されてい る。しかしそれで自己規制したり沈黙したりしてはならない。私たちは自分の名前において言葉を語らなければならない」といった趣旨であったと思います。
まことにその通りで、これから皆さんが語る言葉には、常に名前が刻まれています。それは皆さんが普段名乗っているいわゆる「名前」だけでなく、東京大学と いう名前であり、教養学部という名前でもあります。ですから皆さんは、今後どのような道に進むにせよ、研究においても仕事においても、けっして他者の言葉 をただ受動的に反復するのではなく、健全な批判精神を働かせながらあらゆる情報を疑い、検証し、吟味した上で、東京大学教養学部の卒業生としてみずからの 名前を堂々と名乗り、自分だけの言葉を語っていただきたいと思います。
ところで、もう一度「豚とソクラテス」に戻りますが、私ははじめてこの言葉を聞いたとき、子ども心に、どうして「肥った豚」か「痩せたソクラテス」のどち らかでなければいけないのだろうか、と不思議でなりませんでした。どうせなら「肥ったソクラテス」になればいいじゃないか、と思ったわけです。
そこで大河内総長の式辞原稿をもう一度見てみますと、そこには例の有名なフレーズに続けて「我々は、なろうことなら肥ったソクラテスになりたいのですが」 とも書かれていました。じっさい、ソクラテスであるためには必ず痩せていなければならないという道理はありませんから、この点では私もまったく同意見で す。ただ、ぶくぶくと肥ったソクラテスというのもなんとなくイメージしにくいですね。本日の本郷での卒業式では、この3月末で6年間の任期を終えられる濱 田総長が式辞の最後でとどめの「タフ&グローバル」を口になさいましたが、ここではその濱田総長と、半世紀前の大河内総長に最大限の敬意を表して、2人の 総長の合わせ技で「タフでグローバルなソクラテスになれ」、と皆さんに申し上げておきたいと思います。
さて、かく言う私も、この3月で教養学部長の任期は終了いたします。また、それと同時に、駒場の教員としても退職いたします。いささか恥ずかしげもなく月 並みな言い方をすれば、今日は皆さんの卒業式であると同時に、私自身の卒業式でもあるわけです。人生のひとつの区切りを皆さんと一緒に迎えることができた というのは、何かのご縁かもしれませんが、ともあれこの壇上から式辞を述べるのも、これが最後の機会となりますので、私は大河内総長の「痩せたソクラテ ス」でもなく、濱田総長の「タフでグローバル」でもなく、自分自身が本当に好きな言葉を皆さんに贈って、この式辞を終えたいと思います。
それはドイツの思想家、ニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくる言葉です。
きみは、きみ自身の炎のなかで、自分を焼きつくそうと欲しなくてはならない。きみがまず灰になっていなかったら、どうしてきみは新しくなることができよう!
皆さんも、自分自身の燃えさかる炎のなかで、まずは後先考えずに、灰になるまで自分を焼きつくしてください。そしてその後で、灰の中から新しい自分を発見 してください。自分を焼きつくすことができない人間は、新しく生まれ変わることもできません。私くらいの年齢になると、炎に身を投じればそのまま灰になっ て終わりですが、皆さんはまだまだ何度も生まれ変われるはずです。これからどのような道に進むにしても、どうぞ常に自分を燃やし続け、新しい自分と出会い 続けてください。
もちろん、いま私が紹介した言葉が本当にニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくるのかどうか、必ず自分の目で確かめることもけっして忘れないように。もしかすると、これは私が仕掛けた最後の冗談なのかもしれません。
皆さんの前に、輝かしい未来が開けますように。そして皆さんが教養学部で、この駒場の地で培った教養の力、健全な批判精神に裏打ちされた教養の力が、ますます混迷の度を深めつつあるこの世界に、やがて新しい叡智の光をもたらしますように。
万感の思いを込めて、もう一度申し上げます。皆さん、卒業おめでとう。
平成二十七年三月二十五日
・
これに対して
「これ本当に東大の先生が言ったの?」という書き込みがあって
「動画はないのか?」と証拠を求めているわけです
東京大学のサイトにこのように載っているのですが
それでは証拠になりませんかね
メディアに載ったことがらというのは様々な尾ひれがつくのは当然ですので
取材された側が、誤解のないようにということで
メディア側と同時に映像に残しておく、という手段を取るのは
この場合まったく正統なことですよね
上の意見から言えば
でもそれが、地方自治体の長が行うとなぜかバッシングされる
西宮市長がしばらく前に「今後はそうする」と打ち出したことで
一部メディア側が大騒ぎ
それって、同時に自分たちは記事をある程度意図的に編集しますからね
と言ってるも同じだと思うんだけど
もっとも
HISTORY とSTORYは同義ですので
事実は書き手によってすべて違う意味を持つと思っています
・・・こむずかしいことを考えると肩が凝るわい
2015年4月6日月曜日
NHKが好きなわけでは・・・
去年とりあげたこの本
なにげにテレビを見ていたら
来週からアニメになるそうな・・・!!
プロモーションともいえる番組はマイケルブースさんが再来日して
デパ地下の料亭花見弁当を堪能し
チェーン店の天丼も楽しみ
ヤゲン軟骨の焼鳥に絶句するという内容
それにしても「フードライターは料理のことを知らねばばらぬ」という信念のもとに
コルドン・ブルーで勉強し、天下のジョエル・ロブションの店でも働き
この本のもとになった100日間の日本滞在時にも
一般庶民には手の届かないレベル店で食事をなさっているのに
かなり驚きます
深夜のアニメ
見るか?
いや
それより先に
読もうよ・・・(^^;
・・・・・
夕方浜散歩
次々と着陸機がセントレアに吸い込まれる
・・・何か風景が違う
と思ったら
海苔養殖の棒がなくなってた
奥田海岸は冬は海苔養殖、春は潮干狩り、夏は海水浴可能
なんだけど・・・
漁船がつながれているし、海水浴客をほとんど見たことがないなぁ
夏の夜になると大学生が花火で遊んどるけど
・・・・・
未だに寒くなる
お年頃のせいでひどい頭痛や部分冷えに悩まされるので
チビカイロが最近必需品
今頃また買い足し
でもこの冬は灯油18リットル×3しか買わなかった
(去年は5回買ったから異常といえば異常)
それほど寒さをガマンした覚えはないんだけど
ただ
ストーブがそろそろ寿命なのか
オーバーヒート気味になるとすぐ止まってしまうので
設定温度がかなり低めにしてあるの
東北人は何事にもガマン強い・・・かな?
2015年4月4日土曜日
タケノコその後
さて、いつまでも水に浸けておいてもしょうがないので
毎日タケノコ(^^;
お煮染め
青椒牛肉絲
中華おこわ
餅米を普通に炊いた後に混ぜます
地味ですが・・・激うまっ!!
筍、椎茸(干し椎茸のほうがよろし)、鶏肉(豚バラのがよろし)
豚バラの場合は水煮をしてやわらかくして一度冷やして脂を取ってから
ごま油で軽く炒めて甘辛に
そして忘れてはいけないのは八角
これで2合分×2 冷凍しときま~す
本来の中華おこわなら竹皮に包んで蒸すのですがこれをおにぎりにしてもうまいです(@^.^@)
山形風筍の煮物with牛肉と糸こん
筍料理はつづく
・・・・・
先日注文した野菜の種が届きましたよ
イギリスのThompson & Morganから
料理用のトマトなど
ROMA:卵形の調理用トマト
島:沖縄の唐辛子
キムチ:韓国唐辛子
さてさて・・・♪早く芽が出ろ
・・・・・
さんざん告知してきましたが・・・
今日の皆既月食は
北海道なら見られるらしいです・・・(T_T)
2015年4月3日金曜日
植物のちから
ポール・スミザーさんのガーデニングは
いかにその地に自然な植物を根付かせるか
ということだと感じました
「砂地を緑化したい」という場所に湿地の植物を持ってきても意味がない
土壌改良や一生飲み続けなければいけない薬のような
世話の必要な植物ではいけないのです
多くのガーデナーの根本は同じ気持ちだと思います
コンテストで賞をとりたいとか、目を惹いて強い評価を得たいとか
プラスαの部分で、つい自然のルール違反をしてしまうだけだと思います
西畠清順さんの番組を見ました
思ったことが二つ
一つ目は:
植物にはヒトの野生を目覚めさせるちからがある、ということ
彼がボルネオで世界最大の食虫植物を見て衝撃を受けたように
彼が世界中から探してくる強いインパクトのある植物を
たくさんのひとびとに紹介することで
「生きる喜び=野生」を覚えるきっかけを作りたいと願います
彼が関わっている東京大崎の都市計画の緑化事業で
シンボルになるのはスペインから取り寄せたオリーブの古木
そして木々の多くは果樹
実のなるイチョウは問題がある、せめて奥の一本だけにしないか
と抵抗が上がります
一見、ポール・スミザーのやり方と正反対のような印象があります
(事実彼の著作『プラントハンター』は「珍品コレクターの活動日記」と評されてもいます)
番組で取り上げられていた
パラボラッチョ
彼はこの木を多くの人に見てもらえる機会を作るけれど
この木のための温室でちゃんと育てることが基本になっています
私は「お取り寄せ」をせず、その地で巡り会ったらヨロシと思う派ですが
この木を知ったことがきっかけで植物に目覚めたり世界に出る後押しになったり
することは素晴らしいことだと思う
彼の仕事がきっかけで世の中がもっと本当の緑に包まれるのなら
最高だと思う
余談ですが
パラボラッチョのように下ぶくれの木はいろいろあります
挿し木で増やせるものもあります
が
これはトックリラン
多くの場合実生でないと下ぶくれにならないのです
「幸福の木」と呼ばれたドラセナが流行した時期がありましたが
あれは切り口に防腐剤を塗られた丸太を挿すだけで
簡単に葉がにょきにょき出て来ます
・
もう一つは生け花のこと
池坊を子供の頃と大人になってからの2度に渡って学んびました
とくに生花(しょうか)は大好きだけれど、同時に思うことがあります
生花店に並ぶ花は輸送の便を考えて規格にのっとって栽培された
お行儀の良い花木が多いです(野菜と同じ)
生花(しょうか)には基本のラインがあって
植物の表裏(表=南向きに育った面)を整えてラインにふさわしい枝を選んで
生けるのだけれど、花はみんなお行儀がよいのです
お行儀がよすぎるので、理想のラインにあわせて木を矯める(曲げる)ことになります
子供の頃、生花(しょうか)のはじめは毎回矯めやすい柳5本ばかり使っていました
私が子供の頃のお花の教室はみんなそうだったよね
盛り花を2年、その後生花(しょうか)に取り組むけれど最初は
赤目柳かハランばかりだったと思う
今は違うみたい
このような図録が描かれた頃は
植物はいろいろな枝ぶりをしていたと思います
大人になってからの教室では基本から一歩出たバリエーションを生けることが多くなりました
例えば、右の絵の左の半分くらいの枝
副(そえ)の枝がもっとぐいっと奥に下がってるとか
そういう枝が都合よくあるわけではないので
山茱萸(サンシュユ)のように折り矯め(バキっとなっても折れずに強い矯めが可能)
できる素材を使って理想のラインを作ったりしました
でもそれって本末転倒
山の木を切って生けるからこそのバリエーション
現代の生け花は難しいよなぁ
と思っていました
西畠清順さんの家業は5代続いた花問屋
京都の家元の華展の材料を山に切りに行くこともあります
潮風にさらされて曲がりくねった松
存在感たっぷりの野生をたたえた枝ものを揃えて
華道家に挑戦する
ああ、こういう問屋さんがいるんだなぁ
と、感動しました
そして、彼がまだ34歳ということはすごい希望です
・・・・・
華についてもう一つ
少し前に京都の老舗旅館「俵屋」さんの番組を見ました
秋の紅葉を生け込んでいたときに女将さんが
大胆に枝を落として
「風が見えるように」といったことを指導していました
残念ながら秋の写真は見つかりませんでした(^^;
フラワーアレンジにはいくつかの潮流があって
花屋も職人(マイスター)として技術が必要とされるドイツ
豊富な花材を扱うオランダ
今はそれらの上に芸術的なセンスと緻密な職人技をさりげなく駆使して
デザイナーがオリジナリティを出しています
が、ヨーロッパの花の源は
邸宅を飾る女性のたしなみとして発展したイギリス流が基礎になっています
そしてそれらの根底には日本の生け花があります
オランダやフランスのアレンジが花で埋め尽くすタイプが多いのに対して
イギリス伝統のアレンジには日本の立花を見るような立体感があります
イギリスで勉強をしていたときに
先生がよく仰っていました
「蝶が舞える?」
俵屋さんの「風」を聞いたときにそれを思い出しました
しかし・・・俵屋さんに一生に一度くらいは泊まってみたいものです
2015年4月2日木曜日
雨後のにょきにょき
直売所に地物が出始めて
うずうず
晴れ間にフミちゃんちの裏山へ
1個目
2時間後(^.^)v
さすがに腰が・・・
1/3ほど頂いて
というより、1/3しか背負えない(^^;
保温鍋には入りきらなかったので
次に大きな鍋へ
さあて
新ワカメでも買ってきて若竹煮か
筑前煮
山形風に牛肉と糸こんで煮るか
青椒牛肉絲
タイカレー
トムヤムクン
筍ご飯
中華おこわっ!!
丸ごと縦にスライスして天ぷらもいいねぇ
・・・・・
掘るのもだけど
枯れた竹をギコギコ切ったりしたせいか
腕や手が痛い・・・
軍手したままノコギリ掴んでたからなぁ
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